ギャラリー萩

石川県加賀市 「ギャラリー萩」のホームページです。

ニューヨークにたどり着くまで

ギャラリーを始めていつの頃からか、日本を出て発信しなければという強い思いを抱くようになった。
日本という国の片隅の加賀市という町に住む、
才能ある工芸作家たちがたくさんいることがその一番の理由だ。
いずこの国も同じかもしれないが伝統工芸というものは守り続けることが難しい。
手間と時間と、もちろん才能と、そしてそれらを支える膨大な経済力が必要なものだからだ。
パトロンがいて初めて存在可能なものだ。今はそのパトロンが不在だ。
かろうじて、器好きの人たちが伝統工芸を支えている。
私にできることで、
加賀の若い作家たち世界に認められ羽ばたけるようなチャンスを得ることができないか?

「鞄にjapanを詰め込んで」の旅はそんな焦るような思いから始まった。
行く先はヨーロッパに決めた。イギリス、フランンス、ベルギー、スイス、そしてスペイン。
蒔絵のカフスを抱えての旅は足掛け3年にもなった。その間様々な出会いがあった。
たくさんの友人をも得た。夢のようなドラマティックな出来事もあった。
その果てが、パリの高級紳士用品店アルニスの社長夫妻との出会いであった。
取引先の社長に会って来なさいとの紹介で、
国際携帯電話とメールとのやり取りでニューヨークに行くことになったのだった。

オバマ大統領誕生直後、リーマンショックという大変な経済状況下のニューヨーク。
商談は実を結ばなかったが、
その時私は若い作家をここニューヨークに連れてきてあげたいと強く思ったのだった。
そこにはヨーロッパにない明るい刺激と活気が溢れていた。
世界発信はもしかしてニューヨークのほうが近道に違いない・・・。そう確信した。
連日いろんなギャラリーを巡り歩きながら、ニューヨークにないものに気付いた。
色絵磁器、九谷焼はもちろん有田や京焼などの色絵磁器がないのだ。
備前や信楽風の土ものか、白・黒のモノトーンのものがほとんどで、
私が故郷で日常的に目にする色絵の焼き物がほとんどといっていいほど目につかなかった。
たどり着いたここニューヨークで、九谷焼展をやろう、強くそう心に決めた。
そのような時、友人が連れて行ってくれたのが、
レキシントンアベニューのSARA Japannese Pottery だった。
オーナーの上村直樹さんとの出会いは鮮烈だった。
「実は僕は、物のことはよくわからない。しかし作った人、人間に興味がある。
そして作家についてしゃべり続けることで、ここで19年ギャラリーをやってきたんだ」

熱く語った彼の言葉が私の中にずっと残った。
こういう人に賭けてみよう、ニューヨーク行きを決めたとき私は迷わなかった。
アッパーイーストという立地も最適だ。
高級住宅地であること、メトロポリタン美術館やノイエギャラリー等たくさんの美術館があり、
また個人の高級ギャラリーも数多くあり、
加賀の伝統工芸を発信するのにこれ以上の場所はないと思えたからだ。

ニューヨーカーを驚かせたい、加賀の九谷焼の素晴らしい技を見せたい。
緻密な色絵の仕事に黙々と向き合っているI君、
同じく精緻な筆で赤絵も色絵も染付もこなしているRさん、
この二人をメインにして、九谷焼の細描の世界を発信しようと決めた。
絵付けの実演をする、プリントではなく筆で描いているのだと、
それだけで充分インパクトのある展観になる、きっと評判を呼ぶとの確信はあった。
上村さんに何度もメールで訴えた。何せ色絵、九谷焼など何も知らない。
知らないことはやりたくないというのだ。何枚も何枚も写真を送った。若い作家の情報もいろいろ送った。
ギャラリストとしての彼の心を掴みたいと思った。
彼がやるといってくれれば、それで90%は成功だと私は思った。
そうして昨年2010年10月ニューヨーク展が実現した。

オープニングレセプションの日、通りにもあふれるほどのゲストたちに囲まれて私たちは幸せだった。
四人の若い九谷焼作家たちの夢の舞台だった。

そうして今年も、ニューヨークへ行く。
九谷焼作家A君の点前での小さな茶会をメインに、
九谷焼と山中漆器の若い作家たちが作り出した、精緻で爽やかなお茶の道具たちを見てもらう。
Carry on Japan 若い作家たち四人とのニューヨーク展がもうすぐ始まる。

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