ギャラリー萩再出発のスタート
2024年4月17日
昨晩の雨もやみ清々しい日になったきょう4月17日、ギャラリー萩の建前です。
設計は小松市の家楽舎の木田智滋さん、施工は竹中建設。
7メートルの鉄杭を100本打ち、べた基礎を施しての建前です。
朝7時半から始まり総勢8人の大工さん達によって夕方には建物の全容がしっかりとつかめる状態になりました。
緩やかな片屋根の美しいたたずまい。平屋で玄関前と庭に向かった奥のデッキが広々とした、夢のような空間です。
屋根も下地を張り防水シートをかぶせ、雨対策もばっちりと。
で、私は朝のうちに内祝いのお赤飯を持ってお隣さんやお向かいさんや地主さんのところをお訪ねしギャラリー建設の概要をお話ししてきました。
気持ちよく受け入れていただけたので、ほっとしました。後は少しずつ進んでいくようです。
さてギャラリー萩の第2ステージはどんなイメージかをお伝えせねばなりません。
九谷村にあった義父が建てた蔵を移築したギャラリー萩はその建物そのものが主役のギャラリーでした。今日では材木商にも存在しないといわれる無垢の栗材で出来ていたからで、それは義父が自ら山を歩き見つけ出し切り出してきたもの。親の形見でもあったその蔵は夫の代に受け継がれ、ギャラリーとして人々の目に触れることになりました。
たくさんの方がやってこられどなたもがその蔵の存在感に惹かれ、専業主婦だった私の未熟さも受け入れてもらえ20年も続けることができました。
地元の優れた工芸作家やアーティストの存在とその作品を地元の人々に見てもらうというコンセプトでした。
いくつもの企画展を開きそのたびにたくさんの方々に訪れていただき本当に充実した日々でした。
いつの間にか20年がたち、思いがけない夫の発病とその介護、そしてコロナの蔓延とでやむなくお休みしてから5年が経ちました。
夫が入院し専門的な介護を受けるようになり、コロナも少し落ち着いて私にも余裕が生まれた頃、隣の地面を売っていただけることになりました。
農地転用手続きも済み、設計段階に入って突然ギャラリーを再開したいという強い思いが湧きました。
既に蔵のギャラリーは息子夫婦によって新しい店が出発していました。「一点一点」という自然食のお店です。
夫の代から息子世代にときちんと継がれた、その建物そのものが貴重な文化遺産であるものを次の世代に渡すことができたことでギャラリー萩は役目を終えたと感じました。
地面が手に入り家を建てることを決心したとき、そうだこの家をギャラリーにしようという思いが湧いてきました。
夫の病気で死というものが実感として近いものになりました。それは老後をどう生きていくのかにも繋がり、私が元気でいる間に悔いなくやるべきことやりたいことをやっておきたいと強く思いました。
何をしていきたいのか、それは20年間ギャラリーでやってきたことの仕上げです。
50歳でギャラリーを始め、一緒に歳を取ってきた作家さんたちももう後期高齢者、いわゆる老後の日々を送っています。
まだまだ元気はつらつの方もいれば、年相応自らや伴侶の病気に直面していたりで必ずしも作家としての暮らしを立てにくい人もいる。私も彼らも終活期に入っているのでした。76歳になった私がやろうとすれば、それは終活ギャラリーしかないだろうと。
そして私より若い世代、子供のような弟妹のような作家たちを励ましたいという思いはずっと続いています。
今までの企画展のみの常設展示のない不定期ギャラリーから、常設メインで時々企画展をする(いくつか保留になったままの企画があります)定期ギャラリーへの転換です。
小さな空間ですから今まで以上にお客様との距離が近くなる、「ものがものがたるものがたり」をコンセプトにじっくりと作家とものに向き合ってものがたりを次代に継いでいく場にしたい。
断捨離ばやりの世の中だけど安易に捨てずにものがたりを残したい。それが私の終活であり、ギャラリー萩の第2ステージのイメージです。
順調にいけば7月末には建物は完成します。
それから改めてギャラリーの内容を吟味し準備をし遅くとも来春にはオープンしたいと思っています。
「ばーばの洋ランチ」のようなものも提供したいと考えてもいます。この辺りそういう場所が少ないですから。私が元気でいることが、唯一絶対の条件です。
そうやって自らを追い込んでやれるところまでやってみましょう。
わくわくどきどき、さあ出発です。