ものがものがたるものがたり
2024年9月12日
再スタートのギャラリー萩、私76歳。
昭和23年生まれ、団塊の世代と呼ばれています。今皆こぞって老年です。
後期高齢者の仲間入り、町から敬老お菓子がいただけます。会社はもうすでに退職、いわゆるリタイア組がほとんどでしょう。
でも元気でさえあれば自営業の方々は現役で働いています。シルバー人材センターなどでお役立ち仕事をしている方もたくさんいます。
私も諸事情でお休みしていたけれど、ギャラリーを閉じようとは思わずにいました。再オープンをどうするか、ずっと考えていました。
昨年の夏の終わりのある日隣地が手に入りました。平屋の隠居所を建てることになりました。
老後資金の全てを使い尽くすことになりますが、私には迷いはありませんでした。
昔から、ケ・セラ・セラの人でした。なんとかなる。今が大事だの人。
その途中、ここをギャラリーにしようと閃きました。
平屋だから階段の上り下りはない。
小さい空間だから何とか目も行き届き年寄りにも構いやすいだろう。
再出発はゼロスタートがいい。etc・・・
都合よく考えての決断。私の人生の最終章がスタートしました。
ギャラリーを始めて20年以上が経ち、いつの間にか身不相応のものが身辺に集まっていました。
身軽な再出発であろうとする時、どうしても気になるものがありました。
私自身のこれからを思っても使いきれないもの、仮に子供たちの誰かに残したとしても、
その価値などなんとも思わずに家の片隅で、どうかすると捨てられてしまうこともあり得るものが。
私には使いこなせず、新しい平屋の家ではもっと使えそうもない特上の木工作品、
もう亡くなってしまわれた能美松幽斎先生の「桑造卓」です。
ギャラリー萩では特別な展観の時には正面の展示台に登場しました。
格のある器、九谷焼や山中蒔絵の香炉や香合等の展示台として使われました。
座敷の床の間でお正月や、息子娘の結納の折にも正面に飾った記憶があります。
でも多分私たちの代まででしょう。
新しい平屋の家には床の間付きの座敷はありません。むろん畳の間もなく、床はフローリング、壁は壁紙です。
床暖もエアコンもある快適な暮らしを約束された隠居所です。
それでもちろんいいのですが、この宝物のような卓の場所はありません。
能美先生という加賀市が生んだ極めて優れた指物師が精魂傾けて作り出した卓、
ふさわしい場所にお預かりいただきたい、そして多くの人の目に触れるようにしていただきたい、そうだ美術館に寄贈しようと強く思いました。
この卓にふさわしい場所だろうと強く思いました。
美術館長を務める陶芸家の河島洋さんは昔からの親しい友人でもあったので、彼に相談して寄贈を進めてもらいました。
無事加賀市に寄贈したのがこの春のこと。この秋「加賀市名品展」ではじめてお目見えとなりました。
美術館の中で見る卓は一段と輝いて見え、学芸員によるキャプションもよく一安心。
私の心残りの大きな一つが無事行くべきところに収まりました。
少しずつものの行き先を考えながら、引っ越しをしているつもりです。
新しい空間に全部並べてみるつもりですが、そうしたときに出てくるものがたりをど
うやって語り継いでいくのか、課題です。
一枚の絵画と、桐材の展示台と、あと2点のもののものがたりは次回といたし
ましょう。着々と進んではいるのです。